観察映画三本

ちょっと前に、渋谷のイメージフォーラム『Peace 』(想田和弘監督)というドキュメンタリー映画を観た。
この映画には、音楽もナレーションもテロップも一切無い。岡山で暮らす猫や人の日常をひたすら観察するというもの。しかし難解でも退屈でもなく、とてもおもしろかった。観おわって外に出ると、渋谷を行き交う人たちの姿が、何だか不思議な感じにみえた。「平和」とは、まず、よく観ることからはじまるのではないだろうか。

想田監督は、こういう撮り方を「観察映画」とよぶ。
この『Peace 』の前には、選挙運動の舞台裏を追った『選挙』、そして精神科に通う患者さんたちをモザイク無しで撮った『精神』がある。さっそくDVDで観た。どちらも、表立って何か明確なメッセージを伝えているわけではないのだが、そのことによってかえって、複雑なことが複雑なままに、生きたつながりとともに浮き彫りにされてくる。そして、観察するということが、観ている自分にも向かってくる。

現在制作中の次作『演劇』(仮題)は、平田オリザと青年団を観察しているとのこと。たのしみ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

『セヴァンの地球のなおし方』




予告編


伝説のスピーチ(1992 環境サミット)

昨日、映画『セヴァンの地球のなおし方』を観てきた。
セヴァンは、1992年にリオデジャネイロの環境サミットでスピーチを行った12歳の少女。そして現在は母となり、未来の子供たちのために発言し続けている。彼女を中心として、カナダ、日本、フランスで暮らす人々の様々な試みが紹介されていく。

メッセージ性の強いドキュメンタリーかと思っていたのだが、予想に反して美しい映画だった。映画としての編集の妙ということもあるかもしれないが、始めから終わりまで、泣けてくるというか何というか…。自然、人、動物(家畜さえも)の姿が美しく、愛らしく、健やかで。

セヴァンは「私たちが望むのは幸せで健康な生活です/大切なのは生活の質と健康、そして子供なんです/だから私は自己中心的に自分たちをどう救うか考えていきたい」と言う。
「自己中心的」という言葉に意表をつかれるが、考えてみると、多くのオトナは、損得をもとに利己的に行動しているようでいて、実際には自己を中心として苦しみをかき集めているのではないか。本当の意味で「利己的」になっていない。先ず自分が幸せになる、ということさえ現在のニンゲンにはとても難しいことなのかもしれない。

大人の事情で、子供の未来を壊してはいけない。
セヴァンは「あなたたちはいつも私たちを愛しているといいます。しかし、いわせてください。もしそのことばがほんとうなら、どうか、ほんとうだということを行動でしめしてください。」と言う。
私に何ができるだろうか?
と、まずはこの記事を書いてみる。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

育てヤーチャイカ




黒い人と、渋谷シネマ・アンジェリカへ、写真映画『ヤーチャイカ』を再び観に行く。
上映後に、監督の覚和歌子さん、谷川俊太郎さん、そして主演の尾野真千子さん、香川照之さんによる御礼の挨拶があった。
シネマ・アンジェリカでは今日が最終日だが、これからも全国各地で上映が続く。映画館だけでなく、小規模な上映等にも喜んで応じるとのこと。挨拶でも話されていたが、この映画が、もっともっと育っていってほしいと思う。来春にはDVD化もされるようだ。

育つと言えば、自分の中での印象も、最初観たときとはだいぶ変わった。画面の中の細かなところにも目が向く。映画が育つというのは、観る人とのつながりが育つということでもあるかもしれない。


追記
Japanese for Darfur - 日本の声をダルフールへというサイトで、G8首脳にダルフール問題解決に向けて立ち上がるよう求めるオンライン署名が6月30日までの予定で行われている。賛同いただける方はご協力を。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『ヤーチャイカ』


お土産に主題歌CD
もしこの星に生まれてきたら
早春のやわらかな日差しをあびて
あなたは歩いてゆくでしょう
答えのない問いかけを胸に
くりかえし夜は始まり夜は終わり
いつかあなたは立ち止まるでしょう
愛さずにいられないものを見つけて
過ちをおそれず喜びをむだにせず
あなたは歌うでしょう 小声で
忘れてしまった自分を思い出そうとして
もういちど どこかへ帰ろうとして
あなたは歩き出すでしょう
もしこの星に生まれてきたら

覚和歌子さんと谷川俊太郎さんによる写真映画『ヤーチャイカ』の完成披露試写会に行ってきた。

この映画は、スチール写真によって紡がれる作品である。いったいどんなことになってるいのかと思っていたが、首藤さんの写真、丸尾さんの音楽、そして覚さんの語りにより、りっぱに成立していた。
たんたんと進むようにみえていた物語が、いつしか壮大な世界へと開かれていく。和歌ちゃんワールド炸裂にちょっと涙ぐむ。

原作・語り:覚和歌子 (「ゼロになるからだ」より)
監督・脚本・編集:覚和歌子/谷川俊太郎
主演:香川照之/尾野真千子
写真:首藤幹夫
音楽:丸尾めぐみ
企画・プロデューサー:畠中基博/中村誠

2008年5月31日(土)より渋谷シネマ・アンジェリカほかにて公開。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

種を育てる


『ルワンダの涙』という映画を観た。これは、1994年にアフリカのルワンダ共和国で起きた、民族抗争による虐殺をあつかったものである。100日間で100万人が殺されたという。
また、おなじ問題をあつかった映画として、mixiから始まった署名活動などがもとで劇場公開となった『ホテル・ルワンダ』がある。

近所の見知ったものどうしが、ある日を境に、殺すものと殺されるものとに変わってしまう。
しかしそれは、長年にわたって、憎しみの種を育ててきてしまった結果なのではないか。蓄積されたものが、ある臨界点を超えたときに、カタストロフィーへと向かっていっせいに動き出してしまう。

これは、遠くの貧しい未開の地(だろうか?)での出来事に思われるかもしれないが、この日本でも、条件さえそろえば起こりうることではないのか。
現に様々な場で、じわりじわりと憎しみの種が育ち、歪みが蓄積されていっているように感じられるこの頃である。

こういう映画を観ると、自分がもしこのような場に居あわせたら、どうするだろうかと考えてしまう。

だが先ずは、悲劇を招く前に、今ここでの生活の中で、どのような種を育てていくべきなのかを考えたい。
ささやかなことでも、淡々と育てていきたい。
そのことが、たとえ過酷な状況になった時にも、ひとつの希望につながると思うから。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ワケわかなる映画


友人がとてもいいと言っていた映画『殯の森』を観てきた。

圧倒的なワケのわからなさにもっていかれた。
そのまま帰って来られなくなりそうな気分。

1年ほど前だったか、同じ河瀬直美監督の『沙羅双樹』が何だか気になって観たことがある。これもなかなかワケのわからないさわやかな映画であったが、『殯の森』ではそのワケのわからなさに一段とみがきがかかり、パワーアップしていた。恐るべし。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

数字を超えたきずな


ドキュメンタリー映画を4本観た。大ざっぱでとりとめもないが、感じたことを。

『不都合な真実』、スジは通っているが、通り過ぎててどうもひっかかる。私としては、同じように数字を用いて語るにしても、『チョムスキーとメディア』で淡々と訴え続けるチョムスキーの姿により共感を覚えてしまう。
一方『ダーウィンの悪夢』は、対極的な位置にあると言えるか。きちんと数字が示されておらず客観的でない等の批判もあるようだが、単にタンザニアの悲惨さを強調しただけの映画ではないと思う。監督のインタビューでは、「きずなから生まれた映画」と言うことが語られていた。
『プロミス』では、パレスチナとイスラエルの7人の子供達の間にきずなを育てようとするのだが、これも数字を超えた貴重な試みではないか。

主観的に個々の相手と深くつながることはとても大切だと思う。その方がかえって普遍的な場所へ行けることだってある。客観的な数字というものは、そこから結果として現れてくるものではないのだろうか。数字で世界を壊しつづけている現状から抜け出すには、数字ではないものこそが必要なのではと思うのだが…甘いかな。

ティク・ナット・ハンは、すべての物事は互いに深く関わりあいながら現れてくる、ということを強調する。奪う側と奪われる側というのも、隔てられた別々のプロセスとしてあるわけではなく、どちらも互いに映しあう悪夢の中を生きている。そのことを注意深く意識して観ていくことから、きづなが生まれ、変化がはじまる。

例えば、日々の食卓にあがる食材や、日常使う様々なもののひとつひとつにも想いをはせ、その中にあるつながりを考えてみたい。
ものごとは恐ろしく複雑にみえるが、それを解くのは、数字を超えたある種のシンプルな行いではないかと思っている。そのようなシンプルさから生まれる豊かさが、複雑な悪夢を覚ますことを願って。

最近になって、やっとトートバッグで買い物をするようになった。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

地球交響曲

映画「地球交響曲」は、前々から気にはなっていたのだが、観た友人 が「もろにスピリチュアルだよ~」とか言うもんで、その手のものからは少々距離を置いている私は、何となく手を出さずにいた。
しかし先日第六番に出演している笛奏者の雲龍さんとお会いし、これも何かの縁かと、DVD化されている第一番~五番までを観てみた。なるほど、良い。思わずつられて、星野道夫の本とかも読みはじめてしまったではないか。

第六番は東京都写真美術館ホールにて4/28より公開。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Touch the Sound


「Touch the Sound」という映画を観た。
聴覚障害を持つパーカッショニスト、エヴリン・グレニーのドキュメンタリーである。

「観る人のあらゆる感覚を刺激する、ここちよい音体感」というキャッチコピーなのだが、それはここちよいどころか、こわいほどの体験であった。

ここ3年ほど、身近な植物を接写するようになってから、美しい未知の世界が自分のすぐ足下にあることに気づきはじめた。
この映画は、まるで音の接写のようだ。普段聴いているようでいて実は聴いていない、とてつもなく広くて深い音世界がある。むしろ聴覚は、音に触れるための障害になっているのかもしれない。
壁を超えて音に触れ、そのことによって人と人が、人と世界がつながるように。

エヴリン・グレニーという名に聞き覚えがと思ったら、むかし買ったCDが3枚出てきて、思いがけない再会。

| | コメント (4) | トラックバック (2)